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【展示情報】九条武子からの香川信子宛の手紙

2015.12.22

九条武子

 

九条武子

楫取素彦が美和子とともに防府を終の棲家に定め居住してからの事績のひとつに鞠生幼稚園の創立支援があげられます。

創設者である浄土真宗明覚寺18世香川黙識は楫取素彦と越氏塾での師弟関係にあり、ともに子弟教育の大切を重んじていました。特に西洋化の流れの中で教育が知識中心で個人主義になっていくのを憂い、徳育が大切であるという信念を持ち、明治25年4月、協力して日本初の仏教系幼稚園となる鞠生幼稚園を創設したのです。

その幼稚園の保姆であり香川黙識の妻である香川信代宛に九条武子からの手紙が明覚寺に遺されています。その手紙には、楫取素彦の逝去におどろいたこと、また別の手紙では美和子への伝言なども書き添えられてあり、交流があったことが偲ばれます。

手紙の送り主である九条武子は、大正三美人や大正三大女流歌人の一人としても有名ですが、西本願寺21世法主、大谷光尊(明如上人)の次女として生まれ、幼少から共に育った義姉籌子(かずこ)を助けて仏教婦人会を創設し、教育の重要性、特に女子の教育拡充を訴え、現在の京都女子大学などを創設した教育者です。

 

かつて、寿が難治とされた群馬県を仏教で潤せば民心も穏和になるであろうと、伝道師(僧侶)の招聘と道場の(寺院)の建立を素彦に熱心に勧め、素彦が教導僧の派遣を要請したのが、武子の父明如上人です。